当社の歴史
創業から現在まで
江戸文化五年(1808年)高野山のお膝元、紀ノ川のほとりの現住所において初代 田村久兵衛により、壺を発酵槽として使用した食酢製造業(米酢、穀物酢など)を創業。現在まで変わらずに代々で製造と販売を行なってまいりました。
受賞歴
年 | 概要 |
---|---|
1895 | 第四回内國勸業博覧会において表彰 |
1912 | 第四回日本産業博覧会において表彰 |
2018 | 100 年企業として表彰 |
久兵衛引退後は、久次郎が事業を引き継ぎ、以降 “久次郎” を代々襲名してまいりました。
創業以来、造酢業一筋で邁進し、一子相伝の製造技術に改良を加えながら格段の進歩を遂げ、明治28 年の第四回内國勧業博覧會、明治45年には第四回日本産業博覧會において表彰されるほどの高品質な 食酢を現在も変わらずお客様に提供させていただいております。
6 代目の昌弘は、戦中・戦後の混乱期において原料米の不足もあり、代替原料として当時から生産量の多かった柿を原料とした柿酢の開発に成功しました。しかし米酢に比べ、コスト高という難点があり、原料米が豊富になるに従って中断しました。
現社長で7代目の章弘が20代の頃に、県の農協から規格外の柿の活用法を開発してほしいと依頼を受けました。柿酢の研究が再始動し、再開発・商品化に至りました。
近年、ミヨノハナの柿酢が「食の3重丸」の認定商品となりました。現状の品質に満足することなく、日夜、より良い商品づくりを心掛け、今も進化を続けているのが「ミヨノハナの柿酢」です。
今後も地域密着型企業として地場産品を活用した安心・安全の商品造りを目指してまいります。
会社沿革
年 | 概要 |
1808 | 田村久兵衛が現住所で食酢の製造を開始 |
1838 | 田村久次郎が2代目襲名 |
1860 | 3 代目 田村久次郎(襲名) |
1880 | 4 代目 田村久次郎(襲名) |
1898 | 5 代目 田村久次郎(襲名) |
1938 | 田村昌弘が、米酢の原料となる米が不足になったことより、柿を代替原料とした柿酢の研究・開発を開始 |
1840 | 柿酢を販売(後に米不足の解消共に柿酢の販売は休止) |
1853 | 田村昌弘が6代目継承 |
1955 | 田村造酢株式会社を設立。田村昌弘が代表取締役に就任 |
1983 | 田村章弘が大学院修了後に、柿酢の研究を再び開始 |
1986 | 柿酢を商品化・販売 |
1998 | 田村章弘が7代目となる(代表取締役に就任) |
2005 | 和歌山県庁と和歌山県立医科大学の共同調査で当社の柿酢が使用される |